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 前回に続いて、日本国憲法39条「同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」についての話ですが、最高裁はこの規定を「一時不再理」のみを規定しました。そして、「訴訟亡国アメリカ」(高山正之著、立山珠里亜著、文藝春秋)で、最高裁の判断を美化しているので、これについて反論をしますが、これについての原文は、「ひとたび追訴手続から放免された行為について、有罪か無罪かを公判で審査される危険を二重に受けられる状態は禁止する。」と書かれています。

 無罪判決に対する検察官控訴の禁止(double jeopardy)の意味を翻訳家の方がわからなかったので、こういった訳になったのでしょう。この「検察官控訴の禁止」(double jeopardy)という制度は、陪審制度の「国民の声は、天の声」という考え方に強く結びついています。旧陪審でも、検察官控訴を禁止していたのは、現人神である天皇陛下の赤子である国民の判断である以上、それが誤った判断であり、真犯人を無罪と評決し、裁判長がそれを認めれば、検察官控訴を認めないのは、当然でしょう。今の裁判員制度の様に、再度上級審で公判を実施するということは、「国民の声」に従って、裁判を終わらせる選択に反します。

 逆に、誤った有罪判決であれば、被告人の人権を誤って侵害した事になるので、国民の声を正しく発揮できなかった手続がある場合は、限定的に認めるのが、この制度の趣旨です。旧陪審でも、刑事手続に著しい誤りがあった場合は、大審院(今の最高裁)に特別上告出来るのは、そのためです。

 誤って無罪判決を下した場合には、被告人の人権を誤って侵害するわけではないので、無罪判決に対する見直しは行わない、というのが、「国民の声」に従って、裁判をする英米法の考え方です。日本はアメリカ占領軍によって、英米法にされたので、「国民の健全な社会常識」によって、無罪と判断された事件を、国民が参加しない上級審によって、覆すとすれば、法務官僚の「司法の国民参加」が見せかけだったという事になります。

 あの「名張毒ぶとう酒事件」の一審判決は、無罪でしたが、公正な裁判手続を経て、無罪になったという事は、少なくとも検察官の証明が完璧ではなかったので、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則を貫くという意味でも、検察官控訴は廃止するべきです。特に裁判員裁判で、無罪判決が出たという事は、いくらかの裁判官や裁判員が検察官の証明に疑問を持ったという意味でも、検察官控訴を行うべきではありません。検察官控訴を認めるという事は、裁判官や国民の判断よりも、検察官の判断を上位に置くという意味でも問題があるので、来年の裁判員法改正に検察官控訴の廃止を導入して欲しいです。

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 アメリカでフットボール選手が妻を殺害した容疑で起訴されていたO・J・シンプソンの弁護人を務め無罪評決を勝ち取った著者がアメリカの若手弁護士にメッセージを送った内容について書かれています。弁護士を目指す方だけではなくて、法律に興味がない人も楽しめる本ですので、ぜひ読んでみてくださいね。