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 かつて、最高裁判所長官だった田中耕太郎判事は、裁判が世論などの雑音に影響される事をもっとも恐れ、しばしば裁判官に警告したり、司法論文にして、これを発表した事がありました。この世論などの雑音というのは、裁判官は、思いこみや偏見をもって、裁判をしてはならないという事です。昔、東京地裁判事だった熊谷弘氏が、この言葉を、一般人が裁判に口出しをしてはいけないという意味に解釈しましたが、そういう法律家の思いあがりが、裁判の誤判につながります。

 英米法系諸国は、裁判の過程に、国民感情などが入ってしまうと、裁判の事実認定よりも、どうしても国民に嫌われない様な判決を出してしまう危険性がある事を知っています。だからといって、主権は、国家権力の納税者でもある国民にあるので、国民は知る権利を持っています。だから、英米法系諸国では、ジャーナリストが裁判の過程だけを報道して、裁判官に思いこみや偏見を持たない様にさせます。

 日本の様に、国民が関心を持っている裁判があると、マスコミが、この被告を有罪にするか、無罪にするか、刑罰をどれくらいにするかと書くのは、異常だと思います。しかも、アメリカで起きた服部君射殺事件の様に、無罪判決が出たのに、「だから、陪審制度は駄目なんだ。」とアメリカの陪審制度と日本の停止中の陪審法まで批判をするから、ネット言論から「日本のマスコミは、『マスゴミ』だ。」と言われるのではないでしょうか。

 フランスのドレフュス事件というユダヤ系フランス人の大尉が1894年にスパイの容疑で逮捕されて、1908年に無罪判決が出るまで、マスコミがドレフュス大尉が新犯人である様に報道したので、フランス陸軍が名誉を守るために、軍事法廷で、スパイの人が書かれた書類と筆跡が違うという無実の証拠を無視した上に、その証拠の反対尋問権を認めず、無理な論理で、有罪判決を下した事がありました。

 今のフランスの様な大陸法系諸国が、ドレフュス事件の報道や日本の様に、裁判過程まで、口をはさむとは思えませんが、日本のマスコミは「マスゴミ」と言われたくなければ、国民が関心をよせる裁判でも、冷静に報道して欲しいです。日本の裁判員制度が陪審制度の様になった時は、特に、陪審員の方に、思いこみや偏見を持たせない様にして、冤罪をできるだけ防ぐ様な報道をする様に頑張ってもらいたいです。


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