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 2009年5月に裁判員法(裁判員の参加する刑事裁判に関する法律)が施行される直前になって、デモを起こした人達の1人とメール交換をした時の話ですが、裁判員法に反対する理由は、もともと陪審制度は日本人の国民性に合わないし、それは大正陪審法が当時の日本人にあまりにも人気がなかったという歴史的事実があり、第二次世界大戦後に復活させるはずだった大正陪審法や陪審制度の変形である裁判員法を導入するのは、あまりにも危険である、という意見でした。

 停止中の陪審法が人気がないから、復活させないというのが法務官僚の言い分ですが、大正陪審法が施行されたのが、1928年10月の事で、この後、ノモンハン事件や支那事件、そして大東亜戦争と近隣諸国の戦争に巻き込まれ、人権擁護の最大の防波堤である陪審制度も、戦争遂行の障害にしかなりませんでした。当時の司法省からの「陪審制度を廃止するべきだ。」という声に押されて、1943年に東条英機内閣により、「大東亜戦争終戦後に陪審法を復活させる。」という約束で、停止されました。

 だから、陪審制度が日本人に人気がなかったというのは、かなりおかしな理論です。それに、陪審制度は国民性に合わないという意見は、若槻礼次郎首相をはじめとする陪審法に反対された人が「日本人はフランス人の様に感情的に動くから、陪審制度を導入しても失敗するだけだ。」とおっしゃられましたが、フランスの陪審裁判で明らかに有罪だと思う人が、刑罰が苛酷であるのを避けるために、無罪評決を下した事がありましたが、そもそも、これは刑罰の量刑をもう少し緩やかにすればいいだけの話であるので、日本の刑事裁判も厳罰化ではなく、ある程度、緩やかにした方がいいと思います。

 こう反論すると、それは陪審員による法の無視(Jury Nullification)といわれるものだが、日本人は感情的になりやすく、決断力のない所があるから、陪審制度に向かないのである、と言われました。陪審員による法の無視は、陪審の拒否権(Veto Power)とも言われていますが、日本の場合、裁判官から説示を受けますし、裁判員裁判は、裁判官と一緒に事実認定をするので、あまりにも信じられない無罪は出ないのでしょうが、日本人は陪審制度に向かないとよく法務官僚を中心に言われていますが、日本人の国民性に合わないのなら、日本人の裁判官も刑事裁判に向かない、という矛盾が起きています。

 ネット言論を見ればわかるように、日本人にもそういった感情的になって議論をする人も、決断力の欠ける人もいますが、そういう人達も含めて、ネット言論で議論を重ねて、妥協点や新しい結論を探しています。ネット言論を読んでいると、日本人は自分の意見を議論するのが苦手だとは思えません。それに、古事記では、スサノヲノミコトが高天原(たかまがはら)を騒がしたという容疑の事実認定のために、八百万(やほよろず)の神々が天の安の河原に集まって相談して決めた、という内容がありました。

 それに、日本書記によれば、小野妹子が隋に使いをして、朝廷に戻る途中に、百済で隋の皇帝から託された国書を奪い取られたと、同僚の役人に弾劾されたのを、同僚の役人が集まって審議して、有罪判決を下しましたが、当時の天皇陛下が小野妹子の功労を考慮して、恩赦を出したという記録があります。つまり、別に日本人の国民性が陪審制度と合わない、と考えるのはおかしいでしょう。

 今の裁判員裁判で、誤った無罪判決なら、「疑わしきは被告人の利益に。」という刑事裁判の鉄則に従って、検察官は控訴をするべきではありませんし、誤った有罪判決なら、法解釈の専門家である裁判官が裁判員裁判の誤りをただせばいいだけの話だと思います。

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 日本の神話について書かれている古事記ですが、名前だけは知っているけど、内容はよく知らないといった方が多いと思います。この本では、古事記の内容について、わかりやすい現代語訳で書かれているので、外国人の方から古事記について聞かれても困らなくなるので、この本を買って、読んでみてくださいね。